小規模多機能ホームあん

あんの方針

理念を核として、理想の介護を実践するための考え方や ”こだわり”などを載せております。

良かれと思って…

あんを開所するよりも前の話です。

とある老人ホームに入所していた女性は、トイレに行かない。お風呂も入らない。ベッドで尿失禁して、服はドボドボ。
介護職は、何とかトイレに行ってもらおう、何とか風呂に入ってもらおうと懸命に働きかけます。
本人は、言葉で拒み、態度で拒んでいます。
それでもあの手この手で、介護職は”良かれと思って”、本人を“動かそう”とします。
本人なりの断りの意思表示をしているのに介護職は“良かれと思って”さらなる一歩を踏み込みました。

それが引き金となって本人が手を出すと、今度は“暴力行為あり”とされる。
この女性は加害者なのでしょうか?

違います。
明確な意思表示をしているにも関わらず踏み込まれ、手を出すしか、想いを伝える手立てが無かったのです。

当時、多くの介護職から 「最低限の清潔を!」など、もっともらしい言葉を耳にしました。
介護職の想う“正しさ”を武器に、女性を追い込んだんじゃないのでしょうか。

自分の正しさが、一般論での正しさが、一個人の生活における正しさに繋がるとは限りません。

この話には続きがあって…
「本人が嫌がることはしない」「誠実な関心を寄せるが干渉しない」この2点だけを共有しました。
数日後この女性は自らトイレへ行き、風呂の湯が沸いているのを見て、自ら風呂に入りました。

何が“正しいか”なんて固定する必要はないのです。

この場合は、結果的にトイレに行き、入浴しましたが、そうならなかったとしても、それぞれの生活においてそれぞれ固有の自分なりの “正しさ”があるのです。
それを如何に承認し 汲み取るか。

“良かれと思って…”
という配慮が、時に他者を苦しめる可能性があることを知っておくことは極めて重要だということです。

認知症になると自宅では暮らせない!?

厚生労働省の見通しでは2025年には高齢者人口の20%、つまり高齢者の5人に1人が認知症になると考えられており、いつ誰が認知症になってもおかしくありません。

「介護」といえば、身体介助が主なイメージでした。しかし、ここ数年、徘徊・高齢者を対象とした詐欺事件・高齢者の万引きなどの社会問題が後を絶ちません。認知症による判断力の低下によって、それまでの生活からは想像もできない問題が生じています。

個々の生活状況・認知症状は様々であり、具体的な解決の糸口を見出すのが難しい状況にあります。

草津市では、令和2年7月「草津市認知症があっても安心なまちづくり条例」が制定され、認知症高齢者にとって住みやすい環境づくりへの取り組みが始まっています。

まだまだ現状は、相談するきっかけが見つからない方、どこに何を相談すれば良いかわからず、支援の手を求める事ができずにいらっしゃる方、本当は「家での介護」を望んでいるが、限界を感じ「施設に入るしかない」と考える方もいらっしゃいます。

しかし、たとえどのような症状があっても、状況に応じた様々な手立てがあり、「諦めるのは早い」ということが少なくありません。

本人、家族、友人や近隣住民、商店・企業(コンビニ、JR、金融機関等)、警察、介護事業者や医療機関、行政がそれぞれの力を発揮し、連携することで、地域での生活の継続が可能となることもあるのです。

当事業所をご利用の方の中には、認知症になっても、地域の協力を得て住み慣れた自宅での生活を継続している方がたくさんいらっしゃいます。

これからの時代、認知症になることは決して特別なことではありませんし、恥ずかしいことでもありません。それを当たり前に皆が知っている社会にしていかなければ、年齢を重ねること自体が恐怖となってしまいます。

事業所としては、地域の皆様へ向けて、住み慣れた自宅での生活を継続するための手助けとなるような介護や認知症に関する情報をお届けし、地域の困りごとや家庭内での困りごとを気軽に話せる形づくり、場所づくりをすることで、日々感じておられる不安や課題を共有し、認知症になっても安心して暮らせる地域社会を実現すべく取り組んでいます。

お風呂

あんの風呂場に設置されている浴槽は、家庭用サイズの小さな浴槽です。
これには2つの理由があります。

1.湯船の中で体が浮いてしまわないように(安定するように)、足を伸ばした時に背中と足が壁面に着くサイズである。

2.お一人ずつお湯を入れ替えて、きれいな湯船に入っていただくので、湯量を節約する。

他人の後に入るのは、大きな温泉のかけ流しのお風呂でもなければ、気持ちの悪いものです。

あんでは、お一人入浴される毎にきれいに掃除をし、お湯を入れ替えて清潔な湯船に入っていただきます。お湯が汚れる等の後のことを気にする必要はなく、かかり湯を十分にしないで入っても大丈夫です。普段の自分のやり方で入っていただけます。

ピカピカの床

「掃除の行き届いたきれいなところで、気持ちよく過ごしていただきたい。」

当たり前のことを、当たり前に出来る事業所でありたいと思います。

本人不在のケア

以前、ある情報交換会での事例発表で、認知症のある方との関わりについて、次のような内容の発表がありました。

『Aさんは、夜間の排泄について、パッドの交換に職員が行くと“介護拒否”があるが、自分で目覚めて排尿してもらうと“介護拒否”が少ない。
そこで、夜の11時頃に寝ている本人のベッドをギャッジアップし、目を覚ましてもらって、トイレに誘導し、排尿してもらうことが出来た。』

まず、介護拒否という言葉自体、私は好みません。そこは置いておいて…
認知症のある方に対して、施設という特殊空間で特殊なことを実践している発表だと感じました。
“職員“が困って、”職員“の都合で解決方法を考えて、”職員“が満足して…
本人不在のケアです。

自分がぐっすり寝ているところを、他人の都合でいきなりベッドが動いて起こされたらたまったものじゃないと、自分の身に置き換えてみれば、簡単にわかることです。
私だったら、夜の11時に勝手にベッドのギャッジアップをされた時点で、職員に対して苛立ちを覚えるだろうし、もしかすると思わず手が出てしまうかもしれません。
その時点で、“介護拒否(+)暴力行為(+)”と記される問題高齢者にされるのでしょう。

なんでもかんでも“認知症ケア”だと言ってしまえば通ると思っているとしたら大間違いだと言いたいのです。

そもそもの話ですが、“この施設の中で何ができるんだろうか”と必死に考えるのは、間違っていると私は思うのです。
先ずは、施設も何もかも度外視して、“目の前にいる本人にとって何が必要なのか”を考えるべきではないでしょうか。
その上で、今本人がいる環境の中、どういったことが実現可能なのか?
どうすれば、本人に必要なことを実現できるのか?
本人の想いや希望を施設の枠組みに収める形での方法を検討するのではなく、施設が如何にして本人の想いや希望に寄っていくのか、枠組みを広げ、変化させるのかを考えることが重要だと考えます。
厳しい言い方かもしれないが、施設に思考を縛られた介護職が、どれだけの想いを持っていても、利用者の生活の質は上がりません。

職員の都合で利用者を変えるのでなく、
変わるべきは、間違いなく介護職員の思考なのです。

多様な「本人らしさ」

学校で見せる本人らしさ
塾で見せる本人らしさ
趣味の集まりで見せる本人らしさ
自宅で家族に見せる本人らしさ

と言った具合に、人には、様々な側面があります。

介護職や現場のケアマネージャーは、時に本人のご家族からの情報により「本人らしさ」を模索します。
介護の専門職として、利用者一人一人に焦点を当て、「本人らしさ」とは、どういったものなのか!?と問い続ける姿勢は非常に重要です。
しかし、介護現場において「その人らしさ」を追求し、より本人に近い存在のご家族からの情報を信じるあまり、誤解が生じている場合があるのではないだろうかと思うことがあります。

介護事業所内で職員に見せる本人らしさ
他の利用者に見せる本人らしさ
自宅で家族に見せる本人らしさ
老人会で友だちに見せる本人らしさ

それぞれ違う本人らしさが存在します。

更に、「本人らしさ」と一言にいっても、他人から見た外的な「本人らしさ」と本人自身が思う内的な「本人らしさ」(自分らしさ)には大きな差が存在するようにも思います。

要するに私がお伝えしたいのは、家族から得た情報による「本人らしさ」とは、家族と過ごす中で見せる「本人らしさ」であり、介護サービス事業者に見せる又は 介護サービス事業者と過ごす中で見せる「本人らしさ」とは、そもそも異なる部分があるのではないだろうかということです。

そこを私たち援助者が、一方向からの見方を「本人らしさ」として消化してしまってはいけないのではないかと思うわけです。

援助者は、家族からの情報は家族からの情報として、生活歴は生活歴として、事業所内での情報は事業所内での情報として認識し、本人の「本人らしさ」を断定せず、それぞれの場面における「本人らしさ」を本人自身が表現できるよう環境を整えると共に、援助者自身が多様な「本人らしさ」を感じ、認め、受け入れる気 持ちの余裕を持つことも重要であると考えます。

バラバラな過ごし方

事業所の中での利用者の過ごし方が本当にバラバラです。

ある日様子を記すなら…
ある男性は庭に出て植木の植え替えをされ、それが終わって建物内に入ろうとされると、他の男性が出てこられ、野菜を植えた際に土が流れてしまわないようにと土を盛り、その周囲を煉瓦で囲う。

また違う女性は居間でパズルをなさっている。
そして、それを見ている男性が、その女性に声を掛けておられる。

かと思えば、別の男性は玄関先で電動のノコギリを使って木工細工をしつつ煙草を吹かし、お気に入りのコーラを飲んでおられる。

それを職員と一緒に見がてら外の空気を吸いに出てこられた車椅子の女性は吊るして間もない渋柿をパクリ。

食後の昼寝の為、部屋に籠る人もいらっしゃる。

とにかく、バラバラの過ごし方です。

職員は当然のことながら利用者より少ない人数です。
しかし、バタバタ感はあまり感じさせずに、玄関先の男性と関わりつつ、居間の様子を伺いに行き、庭にも目を向ける。そういうことこそが、介護のプロとしての力量を発揮するところではないかと思うのです。

当たり前の生活があんにはあります。

正直、私は人の世話にはなりたくありません。
このような仕事をしているから感じるところもあるのかもしれませんが、介護は受けたくないとさえ思っています。
でも、こんな事業所だったら、自分が年を重ねた時、「たまにだったら行ってやってもいいかな。」なんて思ったりする今日この頃です。

生活の一部として

今までにも何度か発信していることですが、あんでは特に決まったスケジュールを作りませんし、職員主導のレクリエーションを行いません。
その時々に、その状況によって、そしてその方々に合ったことをします。

以下はすべて、ある日一日のあんでの出来事です。

常盤では、大浴場で入浴するのが好きな方と職員が、近くのなごみの郷へ入浴に行ったり、お買い物に行きたいという声が上がり、午後からみんなでウィンドウショッピングをしたり。

また、矢倉では歌うことが大好きな男性が、職員のキーボードの伴奏で歌を唄われたり、「歌は好きじゃないの。手先を使うことが好きなのよ」とおっしゃる女性と手芸の材料を買いに行き、事業所へ戻って作成されたり。

他にもクッキーを作られる方、お部屋でお休みになられる方、クッキーづくりには参加されずテレビを見ておられ、出来上がったクッキーとコーヒーを楽しまれる方。

あんでは、様々なことを「業務」として捉えるのではなく、「生活の一部」として、「過ごし方」として、利用される方の目線で考えます。
あんをご利用になっている時間も、ご利用される方にとってはその方の生活の一部なのです。

実習生からのメッセージ

あんでは、これまでにも龍谷大学や華頂社会福祉専門学校の学生の実習生の受け入れをしてきました。
あんでの実習を終えた実習生の多くから出てくる言葉があります。

それは、「(あんでの実習をして)福祉施設の概念が変わった。」ということです。
他にも「施設と言うより少し大きな家に来た気分でした。」
「職員さんが自然に利用者さんと関わっておられるのを見て、意識的に自然な関わりをされていることに感銘を受けました。」
といった言葉もありました。

“施設づくり”ではなく、利用者の“生活”に焦点を当て、当たり前の生活を継続してもらう為のサービス、事業所を意識してきた私たちにとって、これ以上ない褒め言葉です。

数時間、事業所に滞在された方にこのように感じてもらえる“あん”。
今後も、おごらず、更なる質の向上を意識し、邁進してまいります。

職員のメモは危険がいっぱい!?

職員が所持しているメモには、業務の際に気づいたこと、気になったこと、確認したいこと、送迎の際にご家族からの伝達事項、訪問時のバイタルチェックの数字、その他覚書など諸々。

すべてはマル秘の個人情報です。
そんなメモを紛失すれば大変なことになります。
だから、あんでは紛失防止のため、カラナビ付きストラップをメモ帳に繋いでポケットに入れています。

職員の計画よりもご利用の方のその時の“気分”に合わせて

あんでの過ごし方にタイムテーブルがないことや職員主導のレクリエーションを実施しないことについてはこれまでも発信してまいりましたが、事業所の時間軸にご利用の方が合わせるのではなく、ご利用の方の過ごし方に職員が寄り添ったり、付き合ったりという姿勢を重視しています。

先日、事業所にバナナが数本置いてありました。
昼食のデザートに使った残り物です。
食品庫に目をやるとホットケーキミックスがありました。
卵は無いかと冷蔵庫を覗きましたが、昼食の用意に使い切っていたようでありません。
でも、「まぁ、いっか。」

この一言は非常に大切なフレーズです。多くの事に通じますが、完璧な何かを作ることが目的なのではありません。作る過程を楽しんだり、仮に美味しくできなかったとしても、それすら日常の一コマとして捉える当たり前の姿が大切だということです。
美味しくないもので構わないという怠慢な態度ではなく、暮らしに焦点を当てており、完璧なモノづくりに焦点を当てている訳ではないということです。
美味しいものを食べるのが目的なら、ケーキ屋さんに行けばよいのです。

結局、卵無しの炊飯器バナナケーキを作ることになりました。
積極的に調理に加わる方、
近くで調理の様子を食い入るように見つめるという方、
そんなことお構いなしにテレビに集中している方、
寝ている方、
調理の過程には興味は示さず、でも甘い香りに誘われ出来上がり時に寄ってくる方。
様々な参加の形があります。

誤解があってはいけないので、あえて申し上げますが、どの形も“アリ”なのです。
本人が本人のペースで、本人なりの参加をすること。
勿論、ここには参加しないという選択肢もあります。

そして、もう一つ。
この炊飯器バナナケーキ作りは、事前に計画をして実施していることではありません。
そもそも、あんでは日々の過ごし方やレクリエーションに関する計画書の様式そのものを、あえて用意していません。

何故なら、一人一人のその時々の気分を重視し、何気ない普段の生活を意識した、当たり前の暮らしを実践しようと考えるからです。
特別でない普通の暮らしにこそ、介護における重要なポイントが存在します。

ただし、それを実践するためには、その場その場における瞬時のリスクマネジメント能力や物事を進める上での応用力などが求められます。
単純にやりたいようにやるというのは、無謀でしかありません。
上記の力を磨きつつ、実践していく必要があると考えています。

また、事業所内で何かをしようと準備をしてはいけないのかというと、そうとは思っていません。
準備があってできることは多く存在します。
ただ、準備をしたから ”必ずやる” のではなく、相手の反応を伺いつつ、場合によっては“実施しない”という選択肢も私たちは持ち合わせている必要があります。
準備をすれば、やりたいのが職員の心情ですが、何らかの理由で実施することが望ましくないのであれば、全力で撤退する勇気も大切です。

ちなみに、出来上がったバナナケーキは、素朴な味わいで割と美味しかったです。

言いたい放題型参加!?

ある日の午前中、通いに来られていた男性の「畑の空いてるスペースに、何か植えへんのか!? スナップエンドウやら、植えたらええんや。」という言葉から、始まった出来事です。

あんのテラス横には小さな畑スペースがあります。
先日までは、ゴーヤや胡瓜等を植えていました。
現在は、ネギを残して何も植えていません。
それを知った男性は、職員に「先ず、土を耕しとかなあかんわ。」
さらに、「種と土が足らんから買ってこなあかんわ。」と提案される。

職員が「じゃあ、一緒にやりましょうか。」と言うと、その男性は「なんでワシがやらなあかんのや。自分らがしたらええんや。ワシはこれから風呂に入るからな。」と仰る。

そこで、他のご利用の方に声をかけ、一緒に買い物に行こうと言ってくださる方と職員が近くのDIY店に土や種、肥料を買い物に行くことになりました。(写真は買い物中の様子です。)

事業所に戻って、職員が肥料と土を入れて耕したところで、先ほどの男性の登場です。
土の様子をご覧になり、「よし、これでええわ。一週間ほどしたら、種を蒔いときや。」と。

参加の形と言うのは様々です。
提案や指示をする人。
身体を動かす人。
傍観する人。
買い物なら行こうかなという人。

それぞれがそれぞれの性格や気分に合った参加の仕方をされています。
そんな何気ない日常をこれからも大切にしていきたいと考えています。

生活の中のクリスマス

毎年、クリスマスの時期には、「通い」をご利用の方に小さなクリスマスケーキをご用意しています。

「メリークリスマス!」の掛け声やクラッカーを鳴らすといった大掛かりなクリスマス会ではなく、居間にクリスマスツリーがあって、ケーキを食べながら、おしゃべり…

例年のことですが、『“施設的なイベント”より“普段の生活の中にあるイベント”を意識する。』というあんに理念に基づいた、普段の暮らしとしてのクリスマスです。

「一分の1の人」を肝に銘じて

所長の運営するフェイスブック「介護福祉士 高島聡の言いたい放題」掲載の記事から、一部切り取りでご紹介します。

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乳児をもつご両親の話である。

生後8か月の乳児を保育園に預けることになり、登園初日のこと、お母さんが保育士に子どもを預け、離れようとすると、乳児は叫ぶように泣き、お母さんは後ろ髪を引かれる想いで、園を後にした。

(~中省略~)

しかし、保護者の立場から見える世界は非常に狭い。

我が子を保育園に預ける時、迎えに行った時、後は連絡ノートでのやり取りと、保育士との会話。

世に出れば、様々なことを経験しながら成長していくのだ。
色々経験すればいい。
親も覚悟をしないといけない。

ただ、今は不安でいっぱいだと言う。

この話を介護事業所に重ねて考えてみると、ご家族の心の中が少し見える気がする。

デイサービスのお迎えの車が自宅に来る。
介護サービスを利用する親を送り出し、次に会うのは帰って来た時。
介護サービスをご利用の方のご家族から見える世界も狭いのだ。

手に入る情報と言えば、上記の送り迎えの時のやり取り、連絡帳の内容、後は本人からの情報くらいのもんだ。

私たち介護事業者側からは、ご本人が事業所でどのような過ごし方をされているのかが見える。
しかし、ご家族からはそうでないのだ。
私たちが想像もつかないところで不安を持っておられるかもしれない。
何か気になることを事業者に伝えることで、親が事業所で嫌な想いをしないかと考えると不安や不満を口にしづらいかもしれない。

そう考えると、送迎時のご家族とのやり取りや、連絡帳の記述、私たちには些細なことと思えることもご家族にとってはそうでないかもしれない。
私たちは、数十分の1の人を数十人預かっているのではなく、一分の1の人を数十人預かっているのである。
つまり、かけがえのない、代わりのきかない、極めて貴重な一人をお預かりしている。

ちゃんとやってるつもり…なんて通用しないのだ。
細心の注意をもって配慮するしかない。

あんが考える地域交流の形1

この日は、朝8時からあん矢倉のある室木町にて年に一度の溝掃除が行われました。
事業所からは二名が参加しました。
地域の方々と溝に溜まった泥を取り除き、その周辺の草抜きを行いつつ、その合間には会話があります。

挨拶に始まり、地域の方々のご両親の状況を聞かせていただいたり、事業所の最近の様子をお伝えしたり、事業所裏の溝の状況について話したりといった “何気ない会話”です。

何でもないようなことですが、地域の方々に事業所の存在を知っていただき、「何かあったら、あんに相談できるんやな」「うちの地域に介護事業所があるんやな」と思ってもらえる状況を作っておくことが重要と考えています。

地域密着型の事業所が行う地域交流の形としてよく見聞きするのは、「親しく行き来できる隣近所」のような関係性を作ろうとするものであったり、事業所を開放 して地域の方々を受け入れ、子供も大人も介護事業所のサービスを利用する方も、一緒に何かをし、日々の生活を継続するというものであったり、中には地域の 保育園児が集団で事業所に来たり、一度に多くの見学者を受け入れるというところもあるようです。

マスメディアにおいても、上記のような地域交流の形を良しとして報道しているものを多く目にするようになりましたし、多くの事業所が事例の発表をする場などにおいて、地域の方が事業所に来てくださる状況を作ることが素晴らしいこととされている風潮を感じます。

しかし、あんでは世論とは逆方向と言われるかもしれませんが、このような地域交流の形を良しとしていません。

なぜなら、事業所が地域のコミュニティとなった時、そのサービスをご利用の方にとって不利益となる可能性があると考えるからです。
自分自身に置き換えれば、想像がつくのではないでしょうか。
生活の一部として慣れ親しんだ事業所を利用している時に、他人が入れ替わり立ち代わり入って来たら、どのように感じるでしょうか。
少なくとも私は気持ちが落ち着きません。

誤解があってはいけないので記しますが、ご高齢の方が他者と関わってはいけないということではありません。
スーパーに行って買い物をする時に他人がいらっしゃっても、市民センターに行って地域の方がいらっしゃっても違和感はありません。
しかし、自分の暮らしの延長線上にある事業所において、見知らぬ人が入ってくることにより生活の領域を犯され、不快と感じたり、混乱を招いたりすることはあり得ると考えられます。

そこを護りたいのです。

地域との関わりは重要ですが、それと同時に私たちには事業所をご利用の方の生活を護る責務があります。
もしかすると少数派かもしれませんが、不快と感じる方が一人でもいらっしゃるならば、その方の生活も護る必要があると思うのです。

多くの地域では、コミュニティは既に存在していますし、少なくとも介護サービスを利用されるまでの間、その地域での暮らしがあったはずです。
それならば、私たち介護事業者は、その暮らしを継続できるような取り組みをしていくことが重要だと思うのです。

事業所が新たな地域のコミュニティとなるのではなく、事業所から地域のコミュニティに出て交流を図ること、そして、地域への情報発信をし、地域に知ってもらい、何かあれば気軽に相談してもらえる関係を構築しておくということ、これが、あんの考える地域交流の形です。

今後も、地域のコミュニティに出ていく地域交流の形を実践し、また様々な発信したいと考えています。

あんが考える地域交流の形2

矢倉学区ソフトボール大会や地域の運動会。
町内会からお声がけをいただき、あんからも、数名のスタッフが参加させていただいています。
こういった催しに事業所として参加をさせていただけること、そして地域の方と直接お話しをさせていいただける時間ができることも有難いことと思っています。

あんが考える地域交流の形3

「ふれあいまつり・矢倉」に出展
毎年11月に矢倉小学校グラウンドで開催される矢倉学区未来のまち協議会主催の「ふれあいまつり・矢倉」に、「介護相談&介護体験」のブースを出展し、「力のいらない介護技術体験」や「車いす乗車体験」をしていただいたり、一般的な介護のご相談などをうけたりしております。

「地域の方を事業所にお招きする」のではなく、「事業所から地域のコミュニティに出て交流を図る」という地域交流の形をこれからも実践していきます。

ご家族のサポートも事業所の役割

介護保険サービスの小規模多機能型居宅介護事業所がサポートするのはご利用の方であり、その方の生活であることは言うまでもありませんが、それだけでは不十分であると考えています。

ご利用の方を護る為には、当然のことながらご自宅で日々介護に取り組まれているご家族などの介護者をサポートする必要があります。

そこが十分でなければ、いくら事業所で質の高い介護サービスが提供されていたとしても、自宅での生活を継続することは困難となります。

そこで、ご自宅でご主人の介護をなさっている奥様に来所していただき、事業所にて入職者と共に、今現在ご自宅でお困りの立ち上がりの介助、歩行の介助、パッド交換の方法についての研修会を実施しました。

奥様は「わかりやすく教えていただけて本当に良かったです」とおっしゃっていました。

これまでにも、自宅の設備の中でどのような介護ができるのか、ご自宅に訪問して様々な介護技術の伝達をしたり、夜間の介護負担を軽減するための方策を共に考えたり、事業所が積み重ねてきた情報を伝達するなどの場面設定をしてまいりました。

今後もご利用の方のサポートだけでなく、ご家族のサポートも十分に行い、ご自宅での生活を安心して継続していただけるよう努めてまいります。

自分が自分でいられるために

当事業所の設えは、“福祉施設”ではなく“少し大きな普通の家”を意識しています。
同業者や利用希望の方が見学に来られた際、
「普通の家みたいで落ち着きますね」
「居心地が凄く良いですね」
などの言葉をいただくことが多いのですが、これは単純に建物の大きさの問題だけではなく、掃除が行き届いている事、建物の間取りに工夫がある事、職員が“普通の暮らし”を意識している事、どの来客者も気持ちよく迎え入れたいという気持ちを持っている事によるものと思っています。

そんな中、最近改めてその重要性を再認識した「居場所」があります。

だれでも、いつも大勢の人と居たいとは限りません。
時には一人になりたかったり、また皆と過ごすことが苦手だけれどもひとりっきりになるのは寂しくて、他者の気配は感じていたいという方もいらっしゃると考えています。

そんな方への配慮として、居間から少しだけ視線を遮った落ち着ける空間として「セミパブリックスペース」を設けています。
僅かなスペースですが、お一人おひとりの気持ちを尊重するための貴重な位置であり、今までも様々な使われ方をしてきた場所です。

つい先日もこんなことがありました。
通いに来られると、いつも居間で賑やかにお話しされている男性の方。

いつものように皆の輪の中心となって楽しくお話しされていましたが、トイレに立たれた後、居間に戻らずセミパブリックスペースの椅子に腰かけておられます。

職員がそばに行くと「ちょっと休憩中。あそこ(居間)にいるとしゃべらなあかんやろ。」「ここは落ち着くな」とおっしゃる。

しばらくその場に座っておられましたが、ご自身のタイミングで居間に戻って行かれ、再び周りの方の笑いを誘い、楽しげに会話されていました。

楽しいけれど、ずっとはしんどい。
だから、すこし休んでまた戻る。
自分が自分でいられるために。

これが出来る場所が「セミパブリックスペース」
絶対になくてはならない場所です。

実地指導

実地指導(※)の結果を職員向けに発信したものですが、ここでご紹介します。
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先日、草津市介護保険課より、午前はあん矢倉、午後はあんサテライト(現在 あん常盤)の実地指導がありました。
全体を通して、軽微な書類等の改善に掛かる口頭での指導もありましたが、何より私たちが大切にしている部分に関して称賛をいただきましたので、報告します。

記録について「あんさんの記録を読ませていただくと、非常にその時々の情景が見え、わかりやすい。すばらしいですね」
研修について「これだけの時間、内容をやっている所は無いですよ。ホントに凄いですね」

三名の方がお越しでしたが、三名が異口同音におっしゃっていました。
これは、職員一人一人の意識が高いことによるものと、非常にうれしく思いました。

※ 実地指導とは草津市介護保険課の担当者が介護サービス事業所へ出向き、適正な事業運営(ケアマネジメントやコンプライアンスにのっとった業務)が行われているか確認するものです。 実地指導は制度管理の適正化とよりよいケアの実現を目的として行います。

あんのお昼ご飯1

あんのお昼ご飯は「美味しくて、見た目にも彩りよく、バランスの良い献立」をモットーに、調理職員が真心こめて作っております。

食事は生活の中で重要な位置づけにあると認識し、おなかを満たすだけでなく、心を満たす食事を提供しようと、調理ミーティングでも「あんの食事として目指すところ」を確認しあっています。

そして、味覚はもちろんのこと、視覚・嗅覚に訴える調理を考え、食事が配膳されたときの喜び、感動を得る工夫をしています。

そういった考えで進める中、調理職員から「お弁当箱を用意してもらえませんか?ふたを開ける前のワクワク感、ふたを開けた時の『わぁ~!』っていう感動があるでしょ?」と提案があり、早速購入しました。
事業所内ではもちろんのこと、ちょっとお花見に…という時にも活躍しています。

あんのお昼ご飯

あんでは、お食事を大切に考えています。

「美味しくて、見た目に彩りもよく、バランスの良い献立」をモットーに、調理職員が工夫を凝らせてご用意しております。

食べたい時が美味しいとき♪

午前中の料理番組で、焼きリンゴを作っているのをご覧になったご利用の方数名が「美味しそうやなぁ、食べたいなぁ」 「りんごは、美味しいなぁ」 と、口々に仰いました。

その言葉を聞いた職員が、早速リンゴを購入し、午後のおやつに「簡単焼きリンゴ」作りが始まりました。
「食べたい時が、美味しいとき♪」
このタイミングは、とても重要 !(^^)!

内部からの感想

あんには、介護職員、看護職員、ケアマネのほかに、調理職員と清掃職員が在籍しています。

この調理や清掃を担当する職員は、「介護業務」に就くことはありませんが、あんの介護を日中通して、間近に、客観的に見ることになります。

そんな職員から聞いた「あんの介護に対する客観的な感想」を、いくつかご紹介します。

【以前、お父様があんをご利用になっていた調理職員Aさん】

「プライドの高い父でしたから、それまで利用していたところでは不満があり怒ることもありましたが、あんになってからは不満を言わなくなりました。そんな様子を見て良くしてもらっているんだろうとは感じていました。その後、私がここで働くようになって、職員さんの関わり方を見ていると、改めて父がここでお世話になっていて本当に良かったと思います。」


【昔に、お母様が介護サービスを利用されていたという調理職員Bさん】

「職員さんが、みなさん、どなたに対しても、ものすごく丁寧に優しく対応されているんですね。母が行っていた事業所では、子ども扱いされたりして、見ている私も辛い思いをしました。あちこち、良いところがないか色々と見て回りましたが…。ここを知っていれば、どんなに良かったかと、残念でなりません。」


【現在、故郷でお母様が介護事業所をご利用されているという調理職員Cさん】

「(あんをご利用の)○○さんが(状況が解らず)大きな声で強めの口調で話しをされると、職員さんが、毎回、横に座って、きちんと向き合いながら、その状況を筆談を交えて説明されているんです。それで、その都度○○さんが理解して落ち着かれるのですが、説明が上からではなく対等で、とても丁寧で。(母のところと比べて)ぜんぜん違います。」


【ご主人があんをご利用になっている清掃職員Dさん】

「私、たまたまトイレを掃除していたら、隣のトイレに職員さんが介助に入られて、声が聞こえていたんですけれど…。誰もいないところでも、変わらず、一つ一つ丁寧に言葉をかけて介助されるんですね。びっくりしました。」


これらの感想は、内から見た客観的な感想ですので、非常に嬉しい限りです。
基本的な関わり方に対する職員の心構えが、具体的な態度になって表れている結果だと思います。


あんでは、認知症の症状の有無にかかわらず、大人としての礼節ある関わりを基本としています。
「先ほども説明しましたが…」や「先ほど、このように言われたので…」などの、記憶を試すような発言や指摘はしません。

また、何度も同じことを質問されても、ご本人にとっては初めての質問であり、職員はそれに対して誠実にお答えします。

今後も、どこから見られても、ご本人にもご家族にも安心していただける介護を実践してまいります。